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三浦茜さん「ずっと笑顔でいられるように、好奇心の赴くままに」ネオソフィアン・ライブインタビュー vol.03

活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトーク・イベント「ネオソフィアン・ライブインタビュー」、第3回目のゲストは、三浦茜さん(旧姓 横尾茜さん)。元まぐまぐ社長、現在はサンフランシスコでアーリーステージの米国スタートアップ企業を支援するベンチャーキャピタル『Scrum Ventures』でマーケティングVPを務める三浦茜さんをゲストにお招きし、これまでの人生や現在のお仕事、そして将来の目標について深く掘り下げお話をお伺いしました。第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について考える機会になればと思います。



ゲストスピーカーご紹介

三浦茜さん(横尾茜さん)


サンフランシスコ在住。アーリーステージの米国スタートアップ企業を支援するベンチャーキャピタル『Scrum Ventures』でマーケティングVPを務める。日経MJ「奔流eビジネス」に寄稿ほか、ライターとしても活動中。プロダクトハンターとして米国の新サービスやサンフランシスコ関連情報を自身のブログ「Be Magnetic!」やFacebookページ「プロダクトハンターあかねのネタ帳」にて発信している。


インタビュワー

  • 金谷武明(95法法)ネオソフィアン代表、グーグル株式会社勤務

  • 反後花美(アシスタント・独文3年)



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※ 写真左より

アシスタント/反後花美(仏文17卒予定)

インタビュワー/金谷武明(95法法卒)

ゲスト/三浦茜(01済営卒)



1. ~ 幼少期 ~



反後: まずは子供の頃のお話をお伺いします。子供の頃、どんな子供でしたか?


三浦: うっすらと覚えている記憶を辿ると、幼稚園の時に将来の夢を描くタイミングがあったんです。本当はケーキ屋さんになりたかったんですけど、他にもケーキ屋さんになりたい友達は沢山いて、他の人とかぶるのは嫌だったので、お金持ちって書いたんですよね(笑)。しかもソファに座ってお金をばらまいている絵を描いたりして(笑)。


金谷: そしてその夢が叶ったと(笑)。


三浦: いえいえ(笑)。全然ばらまけるようにはなってないですね。


金谷: でも今その夢に向かってサンフランシスコで頑張って...


三浦: (笑)


金谷: 違うんですね、はい、では次に行きましょう!


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2. ~ 上智大学 ~



反後: 上智に進学しようと思った理由は何ですか?


三浦: 私、田舎は山形で姉が二人いるんですけど、二人とも大学から東京に行っていたので、東京に行くんだろうな、と。やっぱ田舎者なんで東京行きたいじゃないですか(笑)。


上智、東京の真ん中だな、みたいな(笑)。


金谷: そんな理由なんですか(笑)。


三浦: はい、でも正直なところは、暗記系の科目が苦手で数学と国語が得意だったので、あと英語で受けられるところを探したら受けられるところが少なくて、3科目で受験できたのが主に上智だったんです。


金谷: 英数国の文系受験は僕も一緒ですね。選択肢が少ないというのは共感できますね。僕も上智は日程の結果選びましたから(笑)。きっかけはそんなものですよね。


反後: 上智大学に入ったあとはどんな感じでしたか?


三浦: 最初はゴルフサークルに入ろうと思ったんですけど、ゴルフクラブって20万とかするので、それならパソコン買おうかな、と思ってパソコン買ってしまいました(笑)。そしてゴルフサークルはやめてパソコンばっかりいじってました。ちょうどテレホーダイの時代ですね。


金谷: その時パソコンで何やってたんですか?


三浦: 全然建設的じゃないんですけど、チャットとか。


金谷: 23時まで待って、ネットに繋いで、ですね(笑)。

(ここでテレホーダイを解説)


三浦: あとはアルバイトですかねえ。まんが喫茶でバイトしてたんですよ。今みたいなブースが区切られたまんが喫茶ではなくて、もっと家族経営な感じの喫茶店の延長っぽいお店でした。あとは銀座のバーでバイトしてたり。


金谷: ずいぶん極端ですね(笑)。


三浦: でも隣に座ったりするような感じの店ではないので(笑)。


マンガは本当に好きで、就活でもマンガの編集に携わりたくて出版社をたくさん受けたくらい好きでした。


金谷: 他に上智大学時代のエピソードで覚えてるようなことはありますか?


三浦: そうですねえ、思い出せないんですよねえ。


金谷: 悪いことは忘れてしまうってことですかね(笑)。


三浦: それ、生きる上で大事なコツですね(笑)。


金谷: では無理に思い出させるのはやめて、次に行きたいと思います。


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3. ~ 就活 ~



反後: 就活についてお伺いします。私が来年いよいよ就活だなあという感じなんですが、どんなふうに進められたのでしょうか?


三浦: 就職氷河期でだったので興味ないところも沢山受けましたね。でも第一志望は出版社でした。一人暮らしで寂しい時に創作物に色々助けられたので、そういう創作のサポートができたら、と思って。漫画も大好きですし。漫画雑誌も出している出版社から内定をいただき、かなり悩んだのですが、結局違う会社に決めました。当時人気インターネットサービスだったまぐまぐというメルマガの会社です。2000年ごろはまだネット環境も整ってなかったので、インターネットは分単位でお金がかかるんです。だからメールで受信してオフラインで読むという時代だったんですよね。ネットで色んな方の創作を手伝うって面白そうだな、と興味を持って、新卒募集じゃなかったんですけど、新卒ですけどいいですか?と言って応募しました。


反後: 最近インターン、インターンってよく聞くんですけど、当時もインターンとかは普通だったんですか?


三浦: 当時はインターンってそんなに一般的ではなくて、わたしは内定頂いてから時間がある時にバイトという形で働いたりしました。


反後: それは役に立ったな、と思いますか?


三浦: そうですねえ、日本のネットバブルが弾ける前に立ち会えたのはバイトとして関わっていたからなので、それはやっていてよかったな、と思います。あのイケイケゴーゴーな空気を感じることができたので。


金谷: そういう場面に立ち会えるのって自分の努力だけじゃどうにもならないものなんですが、そういうタイミングと出会える運って大事ですよね。


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4. ~ 社会人になって ~



反後: それでは社会人になってからのお話に移りたいと思います。


金谷: まぐまぐに新卒で入られて、その後29歳で社長まで上りつめたわけじゃないですか。


三浦: 上りつめたわけじゃないですけど(笑)。


金谷: まあ自分ではなかなか、上りつめました、とは言いにくいですよね(笑)。でも実際どんなベンチャーでも創業メンバーとかでもなければなかなか20代で社長とかにはなれないですよね。というわけで、新卒入社から社長に上りつめた秘密に迫りたいと思います。


入社直後はどんなことをされてました?


三浦: 入社直後はオフィシャルのメールマガジンの編集だとか、あとオフィスというよりマンションの一室だったので、誰が掃除してくれるわけでもないので掃除したり、麦茶出したりしてました(笑)。


金谷: なるほど、割と目の前の事を普通にやっていた感じですかね。でもその後テレビに出たりとか不思議な展開になりますよね(笑)。その辺はどんな経緯だったんですか?


三浦: 電波少年って体当たり系のテレビ番組があったんですけど、それに出てました。たまたま会社の社長が制作会社の方と仲が良くて、制作の方がよく会社に遊びに来てたんです。わたしはお茶とか出すわけじゃないですか(笑)。それで仲良くなっていて、最近女子アナの募集してますよね、という話をしたら、出れば?みたいな展開になって。


CS110度の電波少年的放送局というチャンネルで、24時間スタジオにこもって生放送できる方を募集します、日給5万で、みたいな内容だったんですけど。


金谷: それで決まっちゃったんですか?


三浦: 一応オーディションもありました。一次は生放送で面接、二次は24時間生放送し続けて、視聴者のリモコンを使った投票で決まるような内容で。今思うと色々無謀ですが。わたしも若くて怖いものもなかったので、楽しそうだなーぐらいの感じで出ちゃったんですよね。


金谷: それで働きながらテレビに出てたんですか?


三浦: 実際は全然働いてなかったですけどね(笑)。会社のキャラクターをスタジオに持参して、広報活動ということにしてもらってました。広めのワンルームぐらいのスタジオなんですが、無人なんです。カメラが3つ4つあるけど無人。そのスタジオから生放送し続けないといけないので、トイレとシャワー以外はずっとカメラの前にいました。誰もいないのにカメラに向かって「おやすみなさい」と眠って、起きたらやっぱりそこには誰もいないんですけど、「おはようございます!」とカメラに話しかけたりして。でもやっぱりずっとカメラに囲まれてるのって普通じゃないんで、最後はちょっとノイローゼみたいになっていたと思います。最長で5日間ぶっ続けでスタジオにいました。


今考えると先進的な番組なんです(笑)。番組サイトに掲示版があって、そこに書いてあることをわたしがやったりとか、視聴者がリモコンを使って投票するとかインタラクティブな要素もあって。


金谷: それって親も見てるんですよね?


三浦: 親も見てましたねえ。テレビの力ってほんとすごいなって思ったのは、オーディションでテレビに一瞬映っただけなのに、色々各方面から電話がかかってきたみたいで、「あんた何やってるの!」って電話がかかってきました(苦笑)。でも親も視聴のために契約してくれました(笑)。


CS110度なので視聴するのにアンテナ設置や専用チューナーが必要だったので、視聴者は少なかったと思います。数千人くらいですかね。でもダイジェストを地上波で流してもらったり、深夜の生放送でも少し喋らせてもらったりしました。


金谷: それがどのくらい続いたんですか?


三浦: ほんとしんどかったんで、3ヶ月くらいでしたね。


金谷: 3ヶ月ですか。でも凄いですよね、3ヶ月間ずっとカメラに囲まれてるって考えると。


三浦: 正直ちょっと病んでたと思います。休みの日に家で寝てても、目が覚めた瞬間カメラに向かって「おはようございます」って言わなきゃ!みたいな感じになっちゃってて。それから結構ネットに書かれるんですよ、悪口を。自分が知らない人に嫌われるという貴重な経験をしました(笑)。メールアドレスもオープンにしてたので、応援メールがくる反面、クレームメールも来るし、好かれるより嫌われてるのが際立って見えたんですよね。


金谷: やっぱ気になって見ちゃうんですか?


三浦: 凄く疲れてるんだけど、やっぱり気になるから家に帰って最初にパソコンひらいて、自分へのクレームを見ちゃってました(笑)。「こいつが出てるから自分の好きな女の子が出れない」とか凄いバッシングされてて。


今思えば見なければいいんですけど、その当時はできなかったですね。でもまあ自分でもよくわからないところで嫌われることってあるんだなあというのは学びました。


今思うと凄くいい経験だったな、と思いますね。


金谷: 思えますか(笑)?今だったらまた出来るんじゃないですか?サンフランシスコで(笑)。


三浦: 今もブログを個人で書いていて、たまに嫌なコメントがついたりするんですけど、気にしないようにしています。


金谷: なるほどですね。それでまぐまぐに復帰したんですよね?仕事はどうしたんですか?


三浦: 3ヶ月ぶりに仕事に戻ったので、はっきり言って仕事がないんですよ。大学卒業して入った会社で、ちょっと自分はできているというか、ちょっといい気になっているところがあったと思うんですよね(笑)。人数も少なかったので自分が回している、というか。でも「ああ、わたしがいなくても会社は回るんだ」って当たり前のことで衝撃を受けて。


金谷: なるほど、自分がいなかったらこの会社回らないんじゃないかくらいに思ってたわけですね。


三浦: ほんとそうなんですよ(笑)図々しい。だから凄い衝撃だったんですよね。それで初めて自分の居場所は自分で作らないといけないな、と思いました。


金谷: それは大きな気づきになったわけですね。それでどうしたんですか?


三浦: それでまたトイレ掃除じゃないですけど、できることからはじめようと思いました。みんながやってる中で改善できることはなんだろう、と主体的に考えるようになって、広告部隊を立ち上げることになったりとか、色々積極的にやるようになりました。


金谷: そしてそこからは順調に...


三浦: はい、そこからはめっちゃ出世して(笑)。


金谷: 社長にまで上りつめ(笑)


三浦: 上りつめたわけじゃないんですけどね(笑)。


社長になった時は50人くらいの会社くらいになってました。一応外から人を連れてくるよりは、みんなも納得するだろうということで。

(※この辺の話は当時のインタビュー記事「表現者のためのプラットフォームを作りたい~まぐまぐ社長 横尾 茜氏(前編)」もぜひご覧ください!)

金谷: それで2009年に社長になられて、どんな感じだったんですか?


三浦: 当たり前ですけど、社長はやったことないんで、どうやっていいかわからないんですよね。

だから恥ずかしいんですけど、色んな社長の本を読んだりとかして、でも結局どこにも答えはないわけで、ちょっとハゲたりとかしながら。


金谷: ハゲたんですか(笑)。


三浦: はい(笑)。なんか必死に頑張ったんですけどね。一応会社は成長傾向ではあったんですが、さらに着実に成長しなければいけないですし、諸々その他の事情もあり、自分にはこの役はつとまらないなと。


金谷: それで退職に至るわけですね。そして初めての転職。


三浦: はい。


金谷: その後Benesseに転職されるわけですが、そこの話は時間の関係もあるのでほとんど飛ばしてサンフランシスコの話に行っちゃおうと思うんですが、いいですか?


三浦: はい(笑)。


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5. ~ サンフランシスコに移って ~




金谷: 渡米のきっかけはなんだったんですか?


三浦: きっかけは結婚ですね。旦那さんがサンフランシスコに住んでるんで引っ越すことになりました。


反後:現在のお仕事はどのような感じですか?


三浦: 今はサンフランシスコのScrum Venturesというベンチャーキャピタルで働いてます。私の上司で創業者の宮田さんは日本人で、Scrumは主に日本の企業や個人の方からファンドのお金を集めてアメリカのスタートアップに投資をしています。ファンドに出資しているのが主に日本の方なので、私は日本向けのマーケティングを担当しています。日本の方にとって「シリコンバレーのベンチャーキャピタルといえば、Scrum Ventures」となることが私のミッションの一つです。自社ブログでシリコンバレーの情報発信をしたり、今日もやってきたんですけど、シリコンバレーの最近のトレンドをシェアする勉強会を企画したりしています。


金谷: なるほど、今日はそんなことをしてたんですね。ご自身でもブログやられてますよね?ブログも情報のセンスというか、面白いサービスをピックアップするなあと思って見てるんですが、その辺のセンスって持って生まれたものですか?


三浦: 個人のブログではアメリカの新サービスやプロダクトを試したレポートをかいたりしています。色んなサービス試すのが好きなんですよね。そして、その裏側のビジネスモデルがどうなってるのか、というのも興味があるんです。自分も一応社長やって経営者だったので、やっぱりそういったことは興味があって。Benesseにいた時も、新規事業を企画したりしてたので、日本にいた時の自分が欲しかったような情報を今自分が発信してる、という感じです。ターゲットは自分(笑)。


金谷: なるほど、それは面白いですね(笑)。


普段はマーケティングのVPとしてどんなことをしてるんですか?

サンフランシスコのベンチャーキャピタルの日本担当マーケティングVPがどんなことをしているのか、みんな興味あると思います。


三浦: そうですねえ、結構こまごまとした仕事してますよ。フェイスブックでターゲットオーディエンスに向けて情報を発信していくとか、毎月勉強会を開催して企業の投資担当の方に来ていただくのもそうだし、インダストリアルレポートなんかも作ったりしています。今はVRのレポートを作ってるところです。。VRとはこれからこんな分野への導入が見込まれていて、アメリカにはこんなスタートアップがありますよ、こんな会社が大規模な資金調達をしていて人気ですよとかそういったレポートを作ったりしています。


金谷: いつか投資の方に行きたいな、というお気持ちもあるんですか?


三浦: そうですねえ、わたしやっぱり英語がまだまだなんですよね。でもやっぱり投資できたら面白いだろうな、と現場を見てると思いますね。


金谷: 英語は結構勉強してますか?


三浦: 仕事の後に発音の学校行ったりとか。移民が多い街なので社会人向けの英語の学校とかもあったりするので。


金谷: なるほど。僕は、今、三浦さんが何に興味あるのか、に興味あるんですよね。

というのも、学生時代はどちらかというと意識低い学生だったと思いますし(ごめんなさい!)、スタート時にそんな高い野望を持っていた感じでもないと思うんですが、その都度その都度色々経験から学習して、その時代にあった次の目標を見出して成長してきてると思うんですよね。なので次の5年後くらいどうなるのかを楽しみにしてるんですよね。


三浦: でもまあ気張らず。


反後: これからの夢とかってあるんですか?


三浦: 夢とかってあんまなくって...あんまり欲もないんですよね。

頑張るのが嫌いなわけじゃないんですけど、社長をやっていた時に頑張りすぎたっというのがあって、日本にいると頑張ることが美学、というところがあると思うんですが、やめる決断というのも大事だと思うんですよね。とはいえのほほんとずっと寝てたいわけではないんですが、ずっと笑顔でいられるようにはしていたいな、と思います。


それから毎年新しいことに一個でもチャレンジできれば、と思っています。

今年は少し人前で話せるようになるといいなあと思っていて、実は話すのが苦手でこれまでお話を頂いても断ってきたんですけど、今回はチャレンジしてみました。そうやって少しずつでも成長していきたいな、と。


金谷: でも全然話すのが苦手って感じでもないですよね?


三浦: お二方にいい雰囲気を作っていただいたので(笑)。


金谷: ありがとうございます(笑)。さて、だいたい予定の時間になってしまいましたが、

僕としては子供の頃のお金持ちになるっていう夢をね(笑)、忘れないで、そういうイメージで、今後も何か面白いことを追いかけ続けていただければと思います。


最後になにかメッセージなどありますか?


三浦: 今日は学生の方が多いと思っていたんですが、むしろ少なかったですね(笑)。

なんか、のほほんとしてるように聞こえたかもしれないですが、20代の頃は悩んでいたと思います。凄い、何者かになりたかったんですよね。それで答えを求めるんですけど、でも答えなんてないじゃないですか。それに気づくのに20代を費やした感じしますね。本とかもめっちゃ読みましたけど、正解なんてないわけですよね。でも学校の延長じゃないですけど、答えを探しちゃうんですよ。でも今は自分は自分じゃんって思えるようになって、30代は楽しく過ごせたので、30代は楽しいですよ、ということもお伝えしたいと思います。


金谷: でもほんとハゲができるくらい悩んだ20代があったからこそ、ですよね(笑)。

ぜひこの話の続きをお伺いしたいと思いますので、ぜひまたお越しください!


三浦: はい!



6. ~ インタビューを終えての感想 ~



三浦: 人前で話すのは本当に避けていたので、とても貴重な経験になりました。その後、ラジオの生放送に出ることになったり、テレビ番組でガイド役をやらせてもらったりという機会も舞い込んできたので、今年はしゃべる運があるようです。普段から過去より今が一番でいたいと思っているので、あまり過去をふりかえることはないのですが、今回このライブセッションを通じて自分の過去を見直すよいきっかけになりました。過去の私、結構攻めてたなーと思い出し、自分にとっても刺激になりました。ありがとうございました!


反後: ベンチャーキャピタルのマーケティングVPだということで、難しい話が多くなるのではないかと思いましたが、茜さんはとても明るくて気さくな方で、楽しくお話が聴けました!のほほんとしているようで悩んでいたという、20代のころに共感を覚えました。


金谷: 三浦さん、お忙しい中今回のオファーを受けていただき、ありがとうございました!三浦さんと知り合って何年も経ちますが、まぐまぐ時代の話やサンフランシスコに行ってしまった後の話など知らないことが沢山あり、また、実際とてもユニークな経験をされていて、聞いていて面白かったですね。凄く野望を持って生きてきたというよりは、今目の前で関心のあることにチャレンジしていった積み重ねがしっかりと今に生きている感じで、きっと多くの方の参考になるんじゃないかと思います。サンフランシスコでの今後の展開、楽しみにしています。また来てください!




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三浦茜さん、来日中の貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!


ネオソフィアンではソフィアン全員が垣根なく交流でき、上智大学全体を盛り上げられるようなイベントを行っております。

また、引き続き各界で活躍するソフィアンにスポットライトを当てたトークイベントを行ってまいりますのでぜひご注目ください。


※過去のトークイベントは下記リンクよりご覧ください。

http://www.sophiakai.jp/blog/jisedai/cat3/live-interview/


<主催> ネオソフィアン


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